アーミッシュの赦し

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

5月に神保町の東京堂書店で平積みになっているのを見つけて、斜め読み状態のまま現在に至っていたのですが、先週の週間文春にて宮崎哲弥さんがコラムで紹介していました。2006年にペンシルバニアアーミッシュの学校で起きた銃乱射事件の犯人( 地域の住民だけどアーミッシュではない)を、被害者の遺族が「赦した」物語です。

アーミッシュの赦し』の著者たちは、その「赦し」がアーミッシュ独自の価値体系に埋め込まれたものであり、その寛容性は簡単に一般化できるものではないと厳に戒めている。「彼らは、我々のもつような個人主義に従った生活のなかであの赦しを与えたのでは」断じてないのだ。

この本は銃乱射事件の加害者についての話ではなく、アーミッシュの共同社会がこの事件の後で、どう対応していったかがテーマであり、そのままアーミッシュの信仰とはどういう原理に基づいているか?ということの説明になっています。 
映画の「刑事ジョン・ブック」( 設定は80年代でしたよね?)における物語のアーミッシュではなく、06年のリアルなアーミッシュ社会と外の世界との関係が描かれています。本当のところは、キリスト教の知識がないと理解が深まらないと思うので、特にキリスト教の関係者ではない普通の日本人と、信仰心が薄くなったとはいえ普通のアメリカ人とでは、この本の意味は違うのかも知れません。