アメリカ下層教育現場

どうやら月1回の更新ペースですね。それはさておき、またアメリカの学校ネタです。

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカで、日本のスポーツ新聞のメジャーリーグ通信員をしていた著者が、ネヴァダ州リノ市内にある「チャーター・スクール」で日本文化のクラス( ここでは授業の意味です)を持つことなった数ヶ月間についての本です。
「チャーター・スクール」とは公立校ではあるものの、水準は一般の公立校より低い位置づけで、入学しても半数が退学してしまうところだそうです。日本文化の授業には前任者がいたのですが、生徒たちのあまりのレベルの低さに愕然とし、1ヶ月経たないうちに逃げ出してしまって、教員免許を持っていない著者に依頼が来たという話です。
最初の授業から、いかに生徒の関心を掴むか?ということに悪戦苦闘します。19人の生徒の多くは、トイレに行きたいと教室から出て行ったり、リフティングのような遊びやUNOを始めたり、もちろん眠ったり、音楽を聴いたり、するわけです。アニメなどで日本文化に対する興味がある生徒もある程度いるはずなので、数学や歴史の授業よりも、少しはやりやすいはずのなのですが。。。。そこから始まった生徒との交流の日々が、最後の授業まで綴られています。
著者はボクシングをテーマにして取材していることあり、ジョージ・フォアマンのインタビューも継続的に行っています。授業の中でも、フォアマンの話が出てきます。

フォアマンは今、ユースセンターを設立して昔の自分のような非行少年たちの世話をしている。そこでは必ず、「セカンド・チャンスを掴め」って話している。目標を定めて全力で走った人間は必ず「何か」を学ぶ。その積み重ねが、成功に繋がるって説いている。負けることだってあるけれど、いつもポジティブに諦めずに進めば「セカンド・チャンス」は必ずやって来る、って。いい言葉だろう?本当は「日本文化」なんかじゃなく、こういう授業をやりたかった。

スポーツ選手の言葉を引用して人生訓にする人や、昔ワルで更生した人を偶像化する人がいますけど、その内容も引用・賞賛する人も、僕は昔からあまり好きになれなくて、少し冷笑していました。しかし、フォアマンの話については、少し違う印象を持ちました。地道に実践している人の言葉ですし、アメリカの格差社会において、底辺から少しでも上に行くということは、日本とは比較にならないほど、意志と努力が必要だと思います。現実的にはセカンド・チャンスを掴める人はごく僅かなのでしょうし、その状況を温室状態にある日本の僕が本当のところは分かるわけはないのです。個人の力や言葉で、全体の状況が改善するとは思えませんが、それでも「言葉は無力」ということはない気がします。
個々のエピソードで面白い内容があったけど、またいずれにします。