コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー

前回、欧米の学校の話が出たんですけど、その関連ということで、以前に買った本を読み返してみました。99年にコロラド州のコロンバイン高校で起きた銃撃事件について、犯人の友人であり、「生き残った生徒」でもある著者が語っています。

コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー

コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー

著者のブルックスと犯人の1人であるディランは小学校1年生の初日に出会います。2人とも悪戯をする普通の小学生である一方、いじめも経験します。そして、

中学校はいじめがもっとひどくなっていて、大変だった。ぼくはよく殴られた。特に体育会系の子に。そいつらがいじめる理由はシンプルだった。ぼくはそいつらの仲間じゃなかったから。

あれ?宮台さんによると、統計的にはアメリカやイギリスでは中学に入るといじめが激減する、だったはずですが?コロラド州では違うのかもしれません。ブルックスも最初は「彼ら」に取り入ろうとするのですが、状況は変わりません。そのうち、パンクの子たちとつき合い始めます。

彼らは、ぼくと同じように自分をのけ者だと感じていて、制度や多数派を攻撃する音楽のことで意気投合した。それに、友達が周りにいるときには、いじめるやつらは攻撃してこないってことに気づいた。
学校というのは、ある意味で刑務所の庭のようなもの。一緒にうろつく"集団"を見つけると、他の"集団"は放っておいてくれるんだ。

コロンバイン高校に入学してから、ブルックスはもう1人の犯人であるエリックとも知り合い、コンピューターやテレビゲームに熱中します。しかし、コンピューターオタクの1年生は、当然のように"ジョックス(体育会系)"からの攻撃を受けます。問題はそれだけではありません。

先生はそれを見かけても、見て見ぬふりをした。「男の子はやんちゃだからな」と言って笑っていたんだ。問題は、学校側の人たちの間では、いじめをするやつらに人気があったってことだ。一方ぼくらは、物事の重要な順序になじんでいないように見えたから"厄介者"にされた。フットボールをプレーする生徒は、高校でやるべきことをやっている。ちょっと違う格好をして、違うことに夢中になっているぼくらみたいな生徒は、先生たちを神経質にさせた。

コロンバインの悲劇から1年後、学校内の雰囲気に関する調査が行われたのですが、それを知ると、アメリカがいじめ対策についてうまくやってるわけではないような気がしてきます。

その男子生徒はいじめを報告し、当初、学校側はいじめをする生徒たちを問い質した。しかし、被害者はその後、1年半に渡っていじめられ、新しい出来事が報告されるたびに「 カウンセラーはいじめをした生徒を呼んで話を聞き、いじめをした生徒はそれを否定し、カウンセラーはそれで終わりにして、家族には『私たちはできることをすべてやっています』と伝えた」と報告書は述べている。
「 私はその地域で働く大人たちに、『 仕事を失う可能性があるから、いじめや学校の文化などに関して声を上げることを恐れている』と言われた。」
学部長や副校長、校長というのは「 そうでない場合もあるが、しばしば、スポーツの監督であるか、過去に監督経験がある者だということ。このことは、校長や副校長たちによって運動選手たちは好意的な待遇を与えられるという認識を与える。」

これを、日本のある地方のスポーツで有名な高校についての報告書にあった文章です、と言ったらそのまま信じそうな内容ですね。
話は少しずれるのですが、この本や他のノンフィクション・小説を読む限り、アメリカでのいじめは、直接的な暴力や悪質な悪戯であって、日本のような、多額の金銭恐喝や性的いじめ( 男女間の強姦はいじめとしてではなく発生しているのでしょうけど)は見られないような感じです。これは何故なんだろう?と昔から不思議なのです。確かに「刑務所でいかに生き抜くか」ということに近い状況なのかも知れませんが( 刑務所にみられるような同性間の強姦の危険は低いでしょうけど)、日本のいじめと違うようにみえるのは、文化の問題なのか?クラス・固定席がないというようなシステムの問題なのか?
そもそも現金社会でなくクレジットカードや小切手で決済する社会なので、誰も現金を持っていなく、また手に入れても子供が使える場所がないのかも知れません。日本だと現金さえあれば、中高生でも風俗やギャンブルで遊んだりすることは、拒否されるケースもあるでしょうが、そこそこ可能でしょう( 違法を承知でも黙認するケースもあるし、見た目でわからなければ良い訳ですから)。まして、ブランド品やゲーム・コミック他を買うことは全く問題なく出来ます。子供( この場合は未成年という意味で使ってます)が大金を持つこと自体は、お年玉等のせいもあって別におかしくないですし、「お客様は神様」の建前から、使い方について注意することは困難な状況です。一方、性的いじめについては、理由がもう少し複雑な気もします。
エリックとディランは「トレンチコート・マフィア」と呼ばれる、のけ者だけど、いじめにただ耐えることを選ばずやり返すこともある集団と知り合います。実際は、それほど危険な生徒たちではなく、ただ"ジョックス"が嫌いなだけでつながっている多種多様な群れなのですが、2人に大きな影響を与えました。そしてパイプ爆弾について興味を持ち始めます。。。
小学校時代からのいじめにより10年以上も怒りを内にためこんで、それが許容量を超えそうな時に、何があれば切り抜けられるのか?ということは難しい問題です。自殺と銃乱射による他殺は、表現方法が違うだけで、同じ解決方法に感じられます。

でも、エリックとディランは、あいつらの行動を説明する必要なんて感じてなかった。あいつらは世界に対して怒っていた。そして、その怒りは表面に現れ始めていた。

ここから先は、事件とその後の話になっていき、テーマが拡散し、かつ重くなっていくので、またいずれ。