「ライフ」と「学校は死に場所じゃない」その2
続きを書かないうちに、ドラマの「ライフ」が終わってしまいました。ちなみに原作の方も16巻が発売に。
- 作者: すえのぶけいこ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/09/13
- メディア: コミック
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人間関係でいうと、女子の場合(というか女性の場合)、男子の世界と違って同調圧力が強い印象があります。グループになって机をくっつけてご飯を食べる、仲間の意見に調子を合わせる、同じものを持たなければならない、てな感じでしょうか。男子はそれこそ劇中の未来みたいに行動することも可能ですが( もちろん、周囲を納得させる能力・個性があった方が良いですけど)、女子はお喋りをする友達がいない状態ってキツイので、どんなことをしてでも回避しなければならないのでしょう( これは大人になっても変わらない気がしますね)。もちろん男子にも程度はともかく同調圧力はあるのですが、もっとグループの境界がファジーだし、そうでない生き方も選べるということです。
それに関連して、藤井さんは「学校に、クラスや固定席は要らない」と主張しています。
そして、できることならクラス制もやめてしまったらどうだろうか。大学のように単位制高校ではクラスもなく、したがって固定席もありません。単位制の学校は地域性もありません。どこからでも通える。さらに大学と同じで自分の取りたい授業だけ取ることができるので、いつもいっしょに行動する「クラス」がない。部活だって入ろうが入るまいが自由。固定化された人間関係や集団を極力なくしていくシステムになっています。
地域の子は地域の学校に行くべきである、クラスで社会性を学ぶべきであると考える人が多いことは知っています。でも、いじめのツールやアイテム減らしという観点から考えると、どうでしょうか。決して実現できないことではないと思います。
個人的にはそういう学校であった方が生きやすかった部分もあります。しかし、大学でもそうなのですが、クラブ(あるいはサークル)に入らないと、コミュニケーション力の無い人間は本当に孤立してしまいます。もっとキツイのは、そのクラブ(サークル)を途中で辞めた場合でしょうね。すでに時間が経っているので、人間関係はとりあえず完成していますから。そのあたりのことについても触れています。
むろん各自が好きな席に座ることになると、仲のいい人たちだけで集まって一人ぼっちになってしまう子が出てくる可能性ももちろんありますが、一人離れて座りたい子は逆にそれが楽かもしれません。
大学生にもなれば、学校で孤立しても、他にいくらでも別の世界の人間関係を生きようがありますが、小中高生ではそうもいきません。本当に孤独が平気な人間は男女の程度の差こそあれ、そんなにいないと思います。上述の未来の話と矛盾するようですが、クラスや固定席(そして席替)があることによって、最低レベルのコミュニケーションが保たれていたり、青木君と赤川君が席順の関係で親友(?)になったりするのです( 吉田君と渡辺君でも)。他の人と同様に、僕もクラスとクラブによって友人が出来たわけで、もともと一人が好きだったとしても、大人になるまでは単独行動を意図的に選択することはありませんでした。この論点を突き詰めていくと、何のために学校が存在するのか?という話につながっていくと思います。単に学習するだけなら、在宅でも通信教育(現在ならインターネット)で指導を受けながら出来るわけで、そうなると文中にもあるように、伝統的な学校の役割である「規範や社会性や協調性を学ぶ場の必要性」とどちらが優先されるべきか?ということになりますね。僕は藤井さんほどラジカルな立場にはなれませんが、今よりは柔軟な制度に出来たら良いと思います( もちろん藤井さんは承知の上で主張していて、本当の目標は僕と同じくらいだと思いますけど)。
アメリカの学校では固定席が無いみたいですが( 確かに映画やドラマでそうですね)、それぞれグループに属していて、それが思いっきりスクールカーストで序列化されていますよね。いじめや暴力は当然あるにしても( 宮台さんによると、英米では中学に入るといじめが激変するそうですが)、同調圧力のせいでは無いのかも知れません。しかし、日本の学校よりも生きやすいかというと、どうなのでしょう?、体験者の話を聞く限り、マイノリィティにとっては最悪らしいのですが。
なんてなこと書いていたら、今日のニュースで、7月に自殺した高校生が友人から恐喝されていた、とのことでした。「友人」が曲者なんですよね。実際、本当に「友人」なんですから。脅迫や暴力による金銭要求や性的いじめの話もしないとリアルじゃないよね。
またまた長くなりそうなので、これからも思い出した時にこのタイトルで書いていくつもりです。でも、しばらくはもっと軽い話題にするつもり。