「ライフ」と「学校は死に場所じゃない」

ライフ(1) (講談社コミックス別冊フレンド)

ライフ(1) (講談社コミックス別冊フレンド)

土曜日に放映してるドラマの原作です。途中からスーパーヒロインの活躍によるカタルシスものに変化してしまっているのですが、最初の頃の女子の微妙な人間関係の描写とそれによる「いじめ」はリアルです。一方、テレビの方は「ライアーゲーム」の後番組だけあって、だんだん「愛海」によるサスペンスになりつつあります(福田沙紀、いい感じです。)。
その「ライフ」を題材として「いじめ」について、藤井誠二さんが書いているのが次の本。
学校は死に場所じゃない

学校は死に場所じゃない

現在のいじめについて、昔と何が違うのかを「ケータイ」や「プリクラ」などから説明していきます。僕の時代と全く違うけど、少し想像力を働かせれば、ありそうだなあ、と感じます。本文の中で雑誌「世界」から引用されている「他者の反感を買わないようにつねに心がけることが、学校での日々を生き抜くテクニックとして要求されている。」という土井隆義さんの文章が、学校の空気をよく表しています。
この本について語りたいことは沢山あって、今日だけでは書ききれないのですが、著者の考えについて思いつくままにコメントします。

殴る・蹴るなどの暴行や、恐喝や金品を巻き上げるような行為を含むいじめは、警察に通報して、生徒を逮捕・補導すべきです。僕はずっと言い続けてきました。

まったく同感です。大人になって路上や会社・サークル内で起こったら誰がみても犯罪とされることが、なぜ学校内や生徒同士のことなら喧嘩両成敗的な存在になるのか理解できません。まあ、警察に通報しても証拠不足だったりして、逮捕されないかも知れないし、家裁が不処分という判断をするかも知れませんが、それはまた別問題として改善すべきだと思います。本音を言うと、残念ですが「言葉のいじめ」は対応困難なので「耐える」か、逆に「逃げる」しかないのでは?と考えています。場合によっては、言葉は肉体的な暴力以上に傷を与えることは承知していますが、客観的な被害の尺度がありません。物語の「歩」みたいに解決していければ良いのですが( でも彼女は未来というあり得ない超人的な存在の友人がいたからなので。。。)。

今は学校内の自浄能力がほとんどないので、ソーシャルワーカースクールカウンセラーといった大人たちの介入が必要だと思います。

これはどうでしょうか?自浄能力がないのはその通りですけど、日本的な風土の中にある学校社会にそのような存在を導入しても、地方の県だとすぐ馴れ合いになってしまう様に思います。また、高いコミュニケーション能力と深い分析力と情報収集力( この場合は子供世界の流行等)があるような人材( つまりどのような組織でも能力を発揮する人材)でないとうまくいかないのでは?つまり、そういう人がソーシャルワーカーになっている確率は、他の業界と同様だとしても、それほど高くない。それは教師だって同じことだから、とにかく外部の人間を複数、学校の中に入れた方が現状よりましだ、ということが藤井さんの意見なのかも知れません( 性別や年齢によって問題理解も違ってしまうと思いますし)。でも、本文中にも書かれていますが、やはり予算が無いので、各学校に複数のソーシャルワーカーを配属することは困難なのです。他の方法を考えていった方が良いのではないでしょうか?

眠くなってきたので、続きはまたの機会にします( この本はなかなか本屋さんで見つかりません。藤井さんのブログを読んでなかったら、存在を知らなかったかも?売れて欲しいんですけどねえ)。