コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー(その2)

コロンバイン高校の話の続きを書かなければいけないと考えているまま、ブログは早くも臨死状態になっていました。その間にも、フィンランドで銃乱射事件があり( お約束の様に、犯人の生徒はいじめられていたとの報道がありました)、一昨日には佐世保でも銃乱射事件が起きましたので( こちらは逆恨みで相手を呼び出したようですが。。。)、やっと再開です。
コロンバイン・ハイスクール・ダイアリーの著者であるブルックス・ブラウンは、幼馴染のディランと、新しい友人のエリックと仲間になったものの、些細なことから仲たがいして、その後、エリックによる嫌がらせ、というか攻撃が続きます。まさに戦闘状態になったわけですが、エリックは全てに対して怒っていたという状況です。エリックは自分のサイトでパイプ爆弾の製造工程を書いたり、復讐の計画を書いていて、ブルックスからそれを知った両親は警察に通報します。しかし、警察はそれほど重大な危険だとは受け止めず、よくある非行少年として「車上荒らし」について対応しただけでした。

エリックは、ぼくとディランとの間にある友情が自分にとって脅威だと感じてた。
まだ若くて、コロンバインのような社会に生きていると、友情には限界があって、簡単にポイと捨てられてしまうように感じてしまうんだ。しかも、誰かと友情を築き始めることが、他の人との友情を失うことを意味するような気がしてしまう。でも、経験を通じて、友情というのは無限にもなりえるってことを学ぶんだ。
エリックは、家族と一緒にいつも引越しして回るという環境で育った。そのたびにいったいどのくらいの友情が断ち切られたのか誰にわかる?ディランに出会って、あいつは親友というというものを知った。そしてそれを奪ってしまうかもしれないものすべてを、あいつは恐れたんだ。それで、あいつはぼくを標的にする理屈を探したんだ。 

僕の親しい友人は小中学校時代の同級生だったりするのですが、大人になってから知り合った人に訊くと、結構珍しがられたりします。最も親しい友人グループは高校や大学時代だったりするみたいなのです( ただ、これは大都市圏の大学進学者にその傾向が強いということかも知れません)。まして、エリックのように転校を繰り返すということは、かなりキツイことのはずです。
その後、コロンバイン高校で最終学期に、ブルックスはエリックとまた話をするようになります。エリックはクラスでも今までとは違って無口ではなく、怒ることなく落ち着いて、人を笑わせることがみられるようになります。

エリックとディランは2人とも僕を笑わせていた。最後のあの何ヶ月かは、あいつらと一緒にいるのが面白かった。ぼくらは昔みたいに、友達だった。

しかし、ブルックスの母親はエリックのことを「策略」だとして全く信じていませんでした。

ぼくがわからないのは、母さんが正しかったということだ。エリックは演技をしていたんだ。しかもぼくだけにではなかった。あいつとディランは、成長して人との付き合い方を学んだから、クラスでのトラブルを笑っていたんじゃなかった。あいつらは、あと数ヶ月で、あいつらの復讐によってみんなにショックを与えられるってことを知っていたから、笑っていたんだ。

この本を読んでいる限り、エリックが女性とつきあった形跡がありません。プロムを誘っても皆に断られています。その点が、ディランと違うところで、少なくともディランは彼に好意をもつ女性( 当然というか、彼女もはぐれているグループの一員ですが)も現れます。ディランは、彼女に関心を示さなかったと書いてありますが( それでも、友人としてプロムには行っている)、彼女の好意を彼らは銃の購入に利用します( 彼女が先に18歳を迎えるので、購入してもらいます)。どうやらエリックだけが身長が低いようですし( 他はとりあえずマッチョでないにしても6フィートはある)、当たり前ですが、10代の男子にとって、性欲の問題以前に人格に影響を与えることでしょう。
プロムを迎え、卒業式が近づいてきますが、2人の進路がどうなるかによって、その後の展開は変わったのかもしれません。エリックは海兵隊への入隊を志願していたけど、軍は彼を採用しませんでした。それは事件の前の週のことだったのです。一方、ディランはアリゾナ大学への進学を希望し、見学にも行っていました。

時々思う。もしエリックが受かっていたら、計画に最後の瞬間に変更を加えて、襲撃を中止するほうに向かったかもしれないと。答は、誰にもわからない。もちろん、ディランの大学への出願と同じように、この志願がすべて策略だった可能性もある。そもそも、もし2人の少年が自分たちの将来のために活動的に計画にしているように見えるとき、彼らが自分たちの死に終わる大殺戮を実際に計画しているなんて、いったい誰が疑うだろう。

月並みな結論になるかも知れませんが、他の誰か( それは、異性でも、軍隊でも構いません)によって承認されて、彼らの人生の中でコロンバインで受けている間の苦痛はたいした問題ではない、と思うことが出来たら、状況は変わったのはないかと僕も思います。自分を肯定出来るということは、生きていく上で、物凄く重要なことです( 一部の人々は、小学校時代からずっと承認されているのですが。。。)。僕もそういう経験があったから、今でも何とか生きていけているような気がします。