秋葉原とコロンバイン

ブログが休眠状態に入って3ヶ月が過ぎようとしている時に、秋葉原で例の事件があって、再開することにしました。

コロンバインの場合は、高校という閉鎖社会の中でスクールカーストに苦しめられながら、エリックとディランは強い怒りを卒業前に清算しようと考えたのだと思います。彼らは決して孤独だったわけではなく、緩やかなグループも形成していたし、自分達の能力にも自信を持っていたはずです。でなければ、1年以上前から計画的に準備をするということは普通の人間には出来ないでしょう。怒りの対象が「コロンバイン」そのものとして、はっきりしていました。

秋葉原の場合は、そこまでの強い意志があったわけではなく、注目を集める方法として選ばれたのでしょうけど、他の方法( 殺人以外)になる可能性もあったと思います。加害者の感じていただろう閉塞感や焦燥感が、何かで緩和されていたら防げたのかも知れません。

事件の動機は様々な意見が出ていますが、加害者が掲示板に書き込んでいた「非モテ」の部分はかなり強いのでは無いでしょうか?掲示板に書き込まれたことが内面の全てでは無いことは承知していますし、派遣労働も理由だとは思いますが、本人の掲示板にあるように加害者が25歳で童貞だとすると、その焦燥感は相当なものでしょう。
ルックスや身長や性的能力に劣等感を持っていたなら、女を手にするためには少しでもいい経済力や社会的立場が必要と考えることは自然で、不安定な派遣労働では将来に希望を持てないだけでなく、セックスや恋愛に対する希望にも影響するでしょう。それなら、コミュニケーション能力や感性( いわゆるセンス)を磨けなんて上野千鶴子さんなら言うのでしょうけど、子供の時から備わっている人は別にして、普通の男には難しいのです。

僕にしても大学時代の一時期は精神的にどん底で( 自意識としては異性のことは関係無かったですけど)、自分で誰かを傷つけようとはもちろん思いませんでしたが、世の中の不幸を悲しむことは全くありませんでした。お前は加害者と違って大学に行き、現在安定した職業に就いているから、こんなブログで分析しているのだ、と言われたら確かにその通りですとしか言えません。ただ、気持ちが少し理解出来るから書いています(犯罪を正当化する気は毛頭無く、死刑になるしかないだろうと思います)。
以前にコロンバインの話で、

他の誰かによって承認されて、彼らの人生の中でコロンバインで受けている間の苦痛はたいした問題ではない、と思うことが出来たら、状況は変わったのはないかと僕も思います。自分を肯定出来るということは、生きていく上で、物凄く重要なことです( 一部の人々は、小学校時代からずっと承認されているのですが。。。)。僕もそういう経験があったから、今でも何とか生きていけているような気がします。

と書きました。しかし、どんなに酷い学校だろうと卒業してしまえば、もう関係がありません。派遣労働で先が見えないということは、自己肯定する上で厳しい状況です。

童貞という問題は単純な性欲の話ではなくて、一生、異性から承認されないかも知れない恐怖です( 性欲の問題だけなら北方さんと同じく風俗に行けば良いと思います)。中高時代からセックスしている人から見れば、そんな大げさな話では無く、まさに単なる性欲の問題なのかも知れませんが。。。

もちろん、そんな程度の悩みは皆かかえているのだから、関係無い人を殺して傷つけていいわけ無いです。被害者の人生を奪う権利は無いです。でも、光市殺人事件の加害者に対する怒りとは少し違って複雑な感情です( 遺族の方には申し訳ないです)。

そのうち(?)続きを書きます。